JARFO企画 CHIRI・黒岩知里展 表現者として生きるということ 日付: 2025年5月27日(火)~ 6月1日(日)
JARFO企画 CHIRI・黒岩知里展 表現者として生きるということ
日付: 2025年5月27日(火)~ 6月1日(日)
場所: JARFO 京・文博(京都文化博物館別館)
主催: 特定法人京都藝際交流協会(JARFO)
問合せ先: 075-222-0302 (11:00〜18:00 / 最終日16:00迄)
JARFO企画
CHIRI・黒岩知里展 表現者として生きるということ に寄せて
私たち京都藝際交流協会 JARFO は、これまで30余年にわたり「運動としてのアート」を標榜し、非営利の活動法人として表現の実践に取り組んできました。活動の目的は、「表現とは何か」「鑑賞とは何か」、そしてそれらを享受する主体である「人間」とは何かという問いを通して、「人間と社会」の関係を探求することにあります。利害関係で「群がる」のではなく、目的意識を持って「集まる」ことを重視し、そのような組織構成を目指してきました。
この長年の活動を通して私たちが学んだ最も大切なことは、人間はただ生まれてくるだけでなく、社会的体験を積み重ねることで「人間としての自己」を形成していく存在であるという事実です。そして、その自己の存在意義を確認する手段の一つが、たとえその形や方法が異なっていても、「表現行為」の実践であると私たちは考えます。
今回「第59回日春展」において黒岩知里氏の入選作品を、「猥褻物陳列」の法的規制に抵触するとして公開展示を中止された件について、私たちは見過ごすことのできない事案であると判断いたしました。
この中止措置の根拠とされる「猥褻物」の判断基準が、曖昧で恣意的であることは、これまでの類似の事例が示すとおりです。とりわけ、問題とされた男性器の表現については、古代ギリシア彫刻に代表されるように、国際的な展覧会の歴史においても数多くの裸体作品が存在しており、このような規制は極めて時代錯誤であると言わざるを得ません。
そもそも問題の本質は、性器という具体的な「モノ」そのものではなく、それを見る側が抱く「妄想」や「欲望」の側にあるのではないでしょうか。しかし、こうした論点には誰も正面から触れていません。
今回の「日春会」の措置は、是非の判断はさておき、表現活動を自己の生命活動と同義に捉える創造者にとっては、まるで誰にも与えられていない「生殺与奪権」を乱用するかのような行為であり、本来、表現の自由を守るべき団体が、自己検閲によってその基本的権利を自ら放棄したことは、極めて由々しき事態です。
こうした状況に鑑み、私たちは今回の企画展を、単に作家一人の問題にとどめるのではなく、「表現者として生きるということはどういうことか」を市民一人ひとりが考えるべきとしたいと考えます。今、民主主義が危機に瀕しているとも言われる時代にあってこそ、表現の自由とその意味について、社会に問いかけ、内外に発信することの必要性を強く感じています。
こうした俯瞰的な視点に立ち返らないかぎり、この種の問題の本質的な解決は先延しにされ続けることでしょう。私たちはその危機感を共有し、対話と表現の場を守る努力を続けていきます。
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